セーターは、現在では秋冬を代表する身近な衣服です。
しかし、その原型はおしゃれ着ではなく、寒さや海風から漁師の体を守るための実用的な作業着だったと考えられています。
そこからスポーツウェア、女性の日常着、若者文化を象徴するファッションへと役割を変えてきました。
ここでは、セーターが誕生した背景から日本に普及するまでの歴史を、年代順に詳しく解説します。
セーターはいつ誕生したのか
セーターは、特定の人物がある年に発明した衣服ではありません。
ヨーロッパ各地で発達した編み物の技術と、漁師や船員、労働者が着ていた防寒用のニットウェアが、長い時間をかけて現在の形へ変化したものです。
現代的なセーターの主要な原型の一つとしては、イギリス諸島や北海沿岸の漁師が着用していた「ガンジー」が挙げられます。
その後、19世紀後半にスポーツウェアとして利用されるようになり、1920年代以降には一般的なファッションアイテムとして定着しました。
編み物とセーターの歴史は異なる
セーターの歴史を考える際は、「編み物の歴史」と「セーターという衣服の歴史」を分けて理解する必要があります。
ニットとは、1本または複数の糸で輪を作り、その輪を連続して絡ませながら布地を作る技法や製品の総称です。
セーターはニット製品の一種であり、一般的には編み物で作られた上半身用の衣服を指します。
編み物の技術はセーターよりもはるかに古く、古代の遺跡からも糸の輪を連結して作られた靴下や帽子などが発見されています。
ただし、古代の遺物には、現在の棒針編みとは異なる「ナーリビンディング」という技法で作られたものもあります。
ナーリビンディングは、糸を通した1本の針で輪を作りながら布を形成する技法です。
そのため、古代から現代と同じ編み物が行われていたと断定することはできません。
現在につながる棒針編みが、いつ、どこで誕生したのかについても、明確には分かっていません。
編み機の誕生がニット製品を広めた
編み物は長い間、家庭や小規模な工房で手作業によって作られていました。
この状況を大きく変えたのが、機械式編み機の発明です。
1589年に最初の機械式編み機が発明された
1589年、イングランドのノッティンガム近郊に住んでいたウィリアム・リーが、最初の機械式編み機とされる「ストッキングフレーム」を発明しました。
名前のとおり、この機械は主に靴下を効率よく生産するために作られたものです。
当初からセーターを製造していたわけではありませんが、ストッキングフレームの登場は、その後のニット産業を大きく発展させるきっかけになりました。
産業革命によって量産が可能になった
18世紀後半から19世紀にかけて産業革命が進むと、編み機にもさまざまな改良が加えられました。
人の手だけに頼っていた編み物を、工場で効率よく生産できるようになったのです。
これにより、靴下や肌着だけでなく、上半身に着るニットウェアも次第に量産されるようになりました。
品質やサイズをある程度統一した製品を市場へ供給できるようになり、ニット製品は一部の人だけが着る高価な衣服から、一般の人にも購入しやすい衣服へ変化していきました。
セーターの原型とされる漁師用のガンジー
現在のセーターの主要な原型の一つとされているのが、イギリス諸島や北海沿岸の漁師が着ていた「ガンジー」です。
英語では「guernsey」や「gansey」と表記され、日本では「ガンジーセーター」や「フィッシャーマンズセーター」と呼ばれることもあります。
ガンジーは漁師を守るための作業着だった
海上で働く漁師は、冷たい風や雨、海水にさらされながら長時間作業しなければなりません。
そのため、漁師用の衣服には保温性だけでなく、耐久性や動きやすさも求められました。
ガンジーは、細く丈夫な梳毛糸を使い、編み目を詰めて作られるのが一般的です。
高密度に編むことで冷たい風を通しにくくなり、丈夫で型崩れしにくい衣服に仕上がります。
完全な防水性があるわけではありませんが、目の詰まった編地には、風や多少の水分を通しにくくする効果があります。
ジャケットほど体の動きを制限しないため、船上で網や縄を扱う漁師に適した作業着でした。
ガンジーには濃紺のものが多かった
伝統的なガンジーには、濃紺の梳毛糸で編まれたものが多く見られます。
体に沿う形で作られ、裾をズボンの中に入れて着用することもありました。
袖口などの傷みやすい部分は比較的シンプルに編まれており、傷んだ場合にほどいて編み直しやすい構造になっていたとされています。
漁師にとってガンジーは、見た目を飾るための服というより、日々の仕事を支える実用品だったのです。
編み模様には地域ごとの特徴があった
ガンジーの胸や肩、腕には、縄、波、格子、木などを思わせる立体的な模様が編み込まれることがありました。
模様は装飾としての役割だけでなく、編地に厚みを持たせる効果もあります。
地域によって好まれる模様や編み方が異なり、それぞれの沿岸地域で独自のスタイルが受け継がれていました。
ただし、すべてのガンジーに複雑な模様が入っていたわけではありません。
仕事用には比較的簡素なものが使われ、全体に模様が入ったものは教会や特別な機会に着用されたという例もあります。
模様で遭難者を識別したという説は伝説に近い
ガンジーについては、「漁師が海難事故に遭った際、セーターの模様から出身地や身元を特定した」という話が広く知られています。
しかし、この説を一般的な事実として裏付ける確かな歴史資料は十分ではありません。
地域ごとに特徴的な模様が存在したことは事実ですが、一人ひとりに固有の識別模様が割り当てられていたとは限りません。
そのため、遭難者を識別するための模様だったという話は、後世に広まった伝説として紹介するのが適切です。
参考サイト
海の男のニット!その名は「ガンジー」セーター | KNIT LABO BLOG
「セーター」という名前の由来
日本語の「セーター」は、英語の「sweater」をカタカナにした言葉です。
「sweater」は、英語で汗を意味する「sweat」に関係しています。
もともとは汗をかくために着る運動着だった
衣服を意味する「sweater」は、19世紀後半に使われるようになったとされています。
当初は、ボート競技などの選手が運動中に汗をかいたり、減量したりする目的で着用する、厚手のウール製上着を指していました。
運動の前後に体が冷えるのを防ぐための衣服としても使われ、次第に一般的なスポーツウェアへと変化します。
やがて意味が広がり、編み物で作られた防寒用の上着全般が「sweater」と呼ばれるようになりました。
単語そのものの歴史と衣服の歴史は異なる
英語の「sweater」という単語には、もともと「汗をかく人」「汗をかかせるもの」という意味がありました。
そのため、辞書によっては「sweater」という単語の使用例を15世紀までさかのぼらせているものがあります。
しかし、その時代に現在のようなセーターが存在していたという意味ではありません。
衣服としての「sweater」が使われるようになったのは、19世紀後半と考えるのが適切です。
19世紀後半にスポーツウェアとして普及
19世紀後半になると、セーターは漁師や船員の作業着だけでなく、スポーツを楽しむ人々の衣服として注目されるようになりました。
当時の欧米では、ゴルフ、ボート、テニス、サイクリングなどのスポーツや余暇活動が広がっていました。
動きやすいニットウェアが求められた
当時の一般的な洋服は、格式や見た目を重視したものが多く、運動には適していませんでした。
そこで、柔らかく伸縮性があり、体を動かしやすいニット製の衣服が利用されるようになります。
1870年代には、ウール、コットン、ウールとシルクの混紡などで作られた「ジャージー」と呼ばれるニットウェアが、男性のスポーツ用肌着や運動着として広まりました。
こうしたスポーツ用のジャージーやニットウェアが、現代的なセーターの発達に大きな影響を与えています。
女性の服装改革も普及を後押しした
19世紀後半には、女性の体をコルセットなどで強く締め付ける服装を見直し、健康的で動きやすい衣服を求める「合理服運動」が起こりました。
サイクリングやテニスなどを楽しむ女性が増えたことも、実用的なニットウェアが受け入れられる要因になりました。
この時点のセーターは、現在のような完全な日常着ではなく、スポーツや屋外活動の際に着る実用的な衣服という位置づけでした。
1920年代にファッションアイテムへ進化
セーターがスポーツ専用の衣服から本格的なファッションへ変わったのは、1920年代です。
社会全体で活動的な生活が重視されるようになり、堅苦しい服装よりも動きやすく快適な衣服が好まれるようになりました。
英国皇太子がフェアアイルセーターを広めた
1921年、後にイギリス国王エドワード8世となるプリンス・オブ・ウェールズが、ゴルフウェアとしてフェアアイルセーターを着用しました。
フェアアイルセーターとは、スコットランド北部のフェア島に由来する、複数の色を使った幾何学模様が特徴のニットウェアです。
英国皇太子が公の場で着用したことで、フェアアイルセーターは上流階級や都市生活者の間でも注目されました。
これをきっかけに、セーターは防寒着や運動着だけでなく、おしゃれを楽しむための衣服としても広がっていきます。
ココ・シャネルが女性の日常着に取り入れた
同じ時期に、ココ・シャネルはジャージー素材やニットウェアを女性服へ積極的に取り入れました。
シャネルがセーターそのものを発明したわけではありません。
それまで男性用の下着やスポーツウェアの印象が強かったニット素材を、洗練された女性の日常着として広めたことが大きな功績です。
シャネルが提案した服装は、従来の女性服よりも体を動かしやすく、旅行や日常生活にも適していました。
こうした新しいスタイルは、女性の生活や社会的な役割の変化とも重なり、ニットウェアの普及を後押ししました。
スキャパレリがセーターを芸術的な服に変えた
1927年には、イタリア出身のデザイナーであるエルザ・スキャパレリが「ボウセーター」を発表しました。
これは、黒いセーターの表面に白いリボンが巻かれているように見える、だまし絵的なデザインのセーターです。
実際のリボンを取り付けたものではなく、編み込みによって平面上にリボンを表現していました。
ボウセーターはファッション誌『Vogue』にも掲載され、大きな話題を集めました。
この作品によって、セーターは単なる防寒着ではなく、ユーモアや芸術性を表現できるファッションアイテムとして認識されるようになります。
1930年代から1950年代に一般家庭へ普及
1920年代にファッションとして注目されたセーターは、1930年代以降、より幅広い層へ普及していきました。
機械編みの既製品が増える一方で、家庭でセーターを編む文化も広がりました。
編み物雑誌や編み図が普及した
1930年代には、セーターの編み方を紹介する雑誌や書籍が増えました。
一般の人が編み図を見ながら、自分や家族のためにセーターを作れるようになったのです。
セーターとカーディガンを同じ色や素材でそろえた「ツインセット」も、この時期に女性向けのスタイルとして注目されました。
セーターは単に暖かい服ではなく、色や模様、襟の形、シルエットなどを楽しむ衣服へと変わっていきました。
第二次世界大戦中は実用品として重宝された
第二次世界大戦中には、兵士の防寒具を作るため、イギリスをはじめとする国々で編み物が奨励されました。
家庭では、古いニット製品をほどいて毛糸を再利用したり、傷んだセーターを補修したりすることも行われました。
物資や燃料が不足するなか、セーターは重ね着しやすく、寒さを防げる実用的な衣服として重宝されました。
1950年代にセーターの人気が高まった
第二次世界大戦後には、編み機や染色技術がさらに発達しました。
ウールに加えて、アクリルやナイロンなどの化学繊維を使ったセーターも登場します。
軽くて扱いやすい製品や、鮮やかな色の製品を大量に生産できるようになり、セーターは一般家庭へ一気に普及しました。
映画俳優や歌手が体にフィットするセーターを着用したことも、ファッションとしての人気を高めました。
セーターは防寒着であると同時に、体のラインや個性を表現する衣服になったのです。
1960年代以降は個性を表す衣服に変化
1960年代以降、セーターは流行や思想、若者文化を表すファッションとして多様化しました。
素材や形、編み方にも新しい表現が取り入れられています。
黒いタートルネックが知的なイメージを持つようになった
1950年代から1960年代には、黒いタートルネックセーターが、ビートニク、芸術家、作家、音楽家などに好まれました。
装飾を抑えたシンプルな黒いセーターは、知的で都会的な印象を与えると同時に、伝統的なスーツ文化への反発を表す衣服にもなりました。
その後、ピエール・カルダン、アンドレ・クレージュ、マリー・クワントなどのデザイナーも、タートルネックや細身のリブニットを作品へ取り入れました。
1970年代にはパンクファッションにも使われた
1970年代には、化学繊維を使った大量生産の衣服が広く普及しました。
その一方で、均一化されたファッションに反発する動きも起こります。
パンクファッションでは、意図的に穴を開けたり、編み目をほどいたりしたセーターが登場しました。
ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンなどは、傷んでいるように見えるニットを、反体制的なデザインとしてファッションに取り入れました。
1980年代には手編みが再評価された
1980年代には、大きなシルエット、太い毛糸、鮮やかな色、動物や幾何学模様を取り入れたセーターが流行しました。
機械では再現しにくい複雑な模様や立体感が評価され、手編みの魅力も見直されるようになります。
川久保玲をはじめとする日本人デザイナーは、穴、左右非対称、不規則な編み目などを意図的にデザインへ取り入れました。
それまで欠点と考えられていた不均一さを個性として表現し、セーターの新しい可能性を世界へ示したのです。
日本におけるセーターの歴史
日本では、ヨーロッパから伝わった編み物製品が「メリヤス」と呼ばれました。
その後、明治時代の機械化や洋装化、戦後の既製服産業の発展によって、セーターが日常着として普及しました。
16世紀以降に編み物製品が伝わった
日本には16世紀以降、ポルトガルやスペインなどとの交易を通じて、編み物製品が伝わったと考えられています。
当時持ち込まれたのは、現在のセーターではなく、主に靴下などの小型のニット製品でした。
江戸時代にはメリヤスの靴下が知られるようになり、第2代水戸藩主・徳川光圀の遺品としてもメリヤスの靴下が残されています。
「メリヤス」の語源には複数の説がある
「メリヤス」は、ポルトガル語で靴下を意味する「meias」、またはスペイン語の「medias」に由来するという説が有力です。
どちらに由来するかは完全に確定していません。
日本では、ニット製品が伸び縮みして体にフィットすることから、「大きくもなく小さくもない」という意味を重ねて「莫大小」という当て字も使われました。
ただし、「莫大小」は日本で後から付けられた表記であり、メリヤスという言葉の本来の語源ではありません。
明治時代に国内生産が始まった
明治時代になると、洋装の導入や軍用品の需要を背景に、国内のメリヤス産業が発達しました。
1873年に開催されたウィーン万国博覧会から持ち帰られた手回し式の靴下編み機を参考に、日本でも編み機が作られるようになります。
当初の主要製品は、セーターではなく、靴下、手袋、肌着、ズボン下などでした。
軍人、警察官、官公庁職員などが洋装を取り入れたことで、靴下や肌着の需要が増え、機械編みの技術も発展していきました。
大正時代から昭和初期にセーターが広がった
大正時代から昭和初期にかけて洋装やスポーツ文化が広がると、セーターやカーディガンも少しずつ日常生活へ取り入れられるようになりました。
学校やスポーツの場でも、動きやすく暖かいニットウェアが使われました。
ただし、この時期はまだ、肌着や靴下などのメリヤス製品が生産の中心でした。
セーターが幅広い家庭に定着するのは、戦後になってからです。
戦後に日常的な防寒着として定着した
第二次世界大戦後、日本では洋装が生活の中心になりました。
学校、職場、家庭で着られる実用的な防寒着として、セーターの需要も増加します。
新潟県の五泉や見附などでは横編みニット産業が発達し、セーターの生産が盛んになりました。
家庭で家族のセーターを編む文化も広がり、編み物は代表的な手芸の一つとして親しまれました。
高度経済成長期に既製服市場が拡大すると、セーターは秋冬の定番商品として完全に定着しました。
セーターから発展した代表的な種類
長い歴史のなかで、セーターには地域や用途に応じたさまざまな種類が生まれました。
それぞれの特徴を知ると、セーターが歩んできた歴史をより深く理解できます。
ガンジーセーター
ガンジーセーターは、イギリス諸島や北海沿岸の漁師が着用していた丈夫なニットウェアです。
細い梳毛糸を高密度に編み、保温性、耐久性、動きやすさを確保しています。
現代的なセーターの主要な原型の一つとされています。
フェアアイルセーター
フェアアイルセーターは、スコットランド北部にあるフェア島に由来します。
複数の色を使った幾何学模様が大きな特徴です。
1920年代にプリンス・オブ・ウェールズが着用したことで、世界的なファッションとして注目されました。
アランセーター
アランセーターは、アイルランド西岸のアラン諸島に結び付けられているニットウェアです。
縄を思わせるケーブル模様、ダイヤ模様、ハニカム模様など、立体的な編み模様を特徴とします。
ただし、編み模様が家系や職業を示していたという説には、後世の観光宣伝によって広まった物語も含まれています。
カーディガン
カーディガンは、前身頃が開き、ボタンなどで留めるタイプのニットウェアです。
日本では、頭からかぶるタイプを「セーター」、前開きのタイプを「カーディガン」と呼び分けるのが一般的です。
一方、英語の「sweater」は、プルオーバーとカーディガンの両方を含む言葉として使われる場合があります。
タートルネックセーター
タートルネックセーターは、首を覆う高い襟を持つセーターです。
もともとは防寒性を高めるための実用的な形ですが、20世紀には知的、都会的、反体制的なイメージを持つファッションとしても広まりました。
セーター・ニット・ジャージー・ジャンパーの違い
セーターと似た言葉には、「ニット」「ジャージー」「ジャンパー」などがあります。
これらは完全な同義語ではなく、地域や使われる場面によって意味が異なります。
ニットは編み物全般を表す
ニットは、編み方や編地、編み物製品全般を表す言葉です。
セーターはニット製品の一種ですが、靴下、肌着、Tシャツなども製法上はニット製品に含まれます。
「ニット=セーター」と考えられることもありますが、本来はニットのほうが広い意味を持っています。
ジャージーは編地や衣服を表す
ジャージーは、もともとイギリス海峡にあるジャージー島に関係する編地や衣服を表す言葉です。
19世紀後半にはスポーツ用のニットウェアとして広まり、現代的なセーターの発達にも影響を与えました。
日本では運動着を「ジャージ」と呼ぶことが多いものの、本来のジャージーは特定の服の形ではなく、主に編地を表す言葉です。
イギリス英語ではジャンパーと呼ばれる
イギリス英語では、頭からかぶって着るセーターを「jumper」と呼ぶのが一般的です。
一方、日本語の「ジャンパー」は、ファスナーやボタンが付いた短い上着を指すことが多く、イギリス英語とは意味が異なります。
アメリカ英語では「sweater」や「pullover」という言葉が一般的に使われます。
セーターの歴史のまとめ
セーターは、一人の発明家によって突然作られた衣服ではありません。
ヨーロッパ各地の編み物文化や、漁師、船員、労働者が着ていた防寒用ニットウェアを背景に、長い時間をかけて現在の形へ発展しました。
主要な原型の一つとされるのが、イギリス諸島や北海沿岸の漁師が着ていたガンジーです。
19世紀後半には、ボート、ゴルフ、テニスなどのスポーツウェアとして利用が広がりました。
1920年代になると、プリンス・オブ・ウェールズ、ココ・シャネル、エルザ・スキャパレリなどの影響により、セーターは本格的なファッションアイテムへと変化します。
その後は戦時中の防寒着、家庭で作る手編み服、大量生産される既製服、若者文化を表すファッションなど、時代に応じてさまざまな役割を担ってきました。
日本でも、メリヤス産業の発達や洋装化を背景に普及し、戦後には秋冬を代表する衣服として定着しています。
現代のセーターは、漁師の体を守るための作業着が、実用性を保ちながらファッションへ発展してきた歴史を受け継ぐ衣服といえるでしょう。
以上、セーターが誕生した歴史についてでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

